夢での気づき 〜夢と現実の境で〜
今日は本を読むか,漫画を読むか、寝るかのいずれかで埋められた1日だった
夢を見て,寝る前に読んだ本や漫画,現実世界での訪問者と祖母の会話など,いろんな要素が絡んでいるが、とにかく夢を見た
以下にTwitterでの発言をまとめる
(現在は削除済み)
人は変わる
死ぬまで変わらないと思っていたものも,ある日突然(もしくは毎日徐々に)変化する
それは人間である限り必然であり当然のこと
アンドロイドが登場するSF映画で,主人公が最後に伝えたメッセージだ
感情があることや生命活動を続けていることを当たり前だと感じている
いや、当たり前だということすら感じないほどに当たり前に存在している
アンドロイドという、非常に人間に似ている容姿で,人間と似た生活を送る存在だからこそ,彼らに感情がないことや,生物学的な生命が存在しないことが異質なものとして受け取られる
その異質な存在により,自分に感情があることや生命活動を続けているという事実が急に意識上に浮かび上がってきた
アンドロイドという存在が誕生することで,人間であることをより強く実感することが増えるのかもしれない
自分のアイデンティティを、人間であることそのものに置くことができるかもしれない
同時に,アンドロイドがより人間に近づいていくことで,人間とはなんなのか?といった問いに悩まされるかもしれない
いずれにせよ,AI,アンドロイドの存在は人間の存在を際立たせるスポットライトの役を果たすかもしれないし,人間がアンドロイドのスポットライトになるのかもしれない
人間が新たな(しかし根源的な)フェーズに移ろうとしている
■
急に思い出した。
昔,ある彼女と付き合っていたときのこと。
その彼女は,自分の気持ちが分からない,と言っていた。
それが原因で苦しんでいた(ように思う)。
当時の僕は、それを助けたいと思った。
それで,彼女といるときは、彼女の意思感情を優先させるようにしていた。
いつしか,それが癖になっていた。
僕自身に自分の感情や気持ちがないわけではない。
だけど、彼女といるときに「君は私に合わせ過ぎている。もっと自分の都合で笑ったりしてほしい」といったことを言われた。
それを言われて,僕も彼女と同じようなところ(自分の気持ちが分からない)があるのか,と解釈していたが、そうじゃない。
今やっと気づいた。
僕と彼女が付き合っていたときの、その癖が今でも残っているのだ。
なんでふと思い出したんだろう。
僕はビーズクッションに頭をのせて,右側を下にして横たわりながらレンタルした映画を観ていた。
ホラー映画だ。
それを観ていたら,ふと昔のことを思い出したのだ。
ある山に彼女と行った時のこと。
その帰り道。
外が暗くなっていた。
僕と彼女は、下山して駅前で何か食べて行こうか?と言った話をしていた。
その時に僕は彼女に「どうしようか。◯◯ちゃんが行きたいところ行こう」と言っていた。
いや,実際にそう言っていたかは定かではないのだ。
でも、そういった会話をしていた,もしくはそれに近い会話(彼女の意思や感情を優先させることで、彼女自身に変化があるのではないかと思っていた)をしていたのは確かだ。
それを思い出して,パズルのピースがハマって、「あ、そうか」となった。
自分でも、なんで彼女の前にいるときは自分ではなく彼女の意思や感情を伺ったりしてしまうのか、色々考えて解釈もつけていたが、これだ。
ぴったりくる。
もう彼女は変化した。
彼女は自分の気持ちを感じることができるようになった(以前より)し,自分の意思もはっきりと伝えられるようになった。
当時の僕はそれを望んでいた。
それが叶ったのだ。
当時の僕の願いは果たされた。
彼女は幸せになるだろう。
様々な葛藤はあるし、以前ほどではないが,気持ちに波もある。
付き合っている時も、常に相手の幸せを投げているわけではなかった。自分本位な言動もあった。
だけど、純粋に彼女の幸せを願って行動していた自分もたしかにいる。
それを否定したくない。
認めてあげよう。
許してあげよう。
よくやった。
失敗も多かったけど、当時の僕ができる精一杯だった。
全てを良い思い出にするわけではない。
ごちゃごちゃな時もあったけど、その中にある純粋な自分を大切に扱ってあげたい。
それでいい。
それがいい。
あの時の僕は、たしかに彼女を愛していたし、幸せを願って行動していた。(全てがそういう綺麗なとこばかりではない。自分の様々な欲を満たすために一緒にいたという側面もある)
それが時間をかけて,さまざまな出来事や出会いを通して彼女は変化した。
幸せに近づいた。
それを喜ぼうじゃないか。
あの時の僕は今でも自分の中にいる。
愛を教えてくれてありがとう。
過ちを指摘してくれてありがとう。
…
ダメだ
途中から言葉がごちゃごちゃになってきた
ごちゃごちゃしてる文章だけど、表現が整理できてないけど、吐き出さないと始まらない
祖母との生活④ 老いについて
佐賀に戻ってから2週間と3日が過ぎた。
祖母との生活が再開して,初めは私の心身に余裕があったので比較的気分良く生活をしていた。
しかし,1週間前ほどから祖母との生活に息苦しさを感じ始めた。
祖母との生活に息苦しさを感じるのは、何もここ最近に始まったことではない。
今年のGW明けに佐賀に来て,数日ほどで感じ始めていたことだ。
祖母との生活における息苦しさの原因は,だいたい把握している。
1.「どこに行くのか」「何をするのか」を過度に尋ねられる。過干渉。
2.〜時までに帰る,と事前に伝えても、その時間になる前に電話がかかってくる。
3.(私が元々音に敏感なのが影響している)杖をつく音が乱暴で、耳障り。
4.自分の意見に対する同意や,惨め(だと感じている)な自分に対する同情をしつこく求める。
5.同じことを数秒おきに数回聞き返す。
6.自分でできることでさえ,なんでもかんでも人にやってもらおうとする。
7.「ありがとう」より「ごめん」が多い。感謝を述べる場面でもとにかく「ごめん」を使う。
8.数秒ごとに自分の意思決定がブレるので,実行に移すのに時間がかかる。
9.トイレを開けっ放しでする。
10.冷蔵保存しなければいけないものが,食卓に出っぱなしのことが多々ある。
11.余った食事を、皿に入れて上からティッシュを被せて保存している(個人的な感覚で衛生上問題がありそうで無理)。
12.余った料理を、他の余った料理と一緒の皿にごちゃ混ぜにして保存する。
13.申し訳なさを口にする割には、それを改善する行動がない。素振りすらない。
14.大きい声でゆっくり喋らないと話しが通じない。そして,同じことを何度も繰り返すので大声で何度も時間をかけて話すことになる。最初はしょうがないと思っていたが、ずっと一緒にいると,嫌気がさしてくる。
15.祖父の見舞いに行くと「今の状態じゃ、(祖父は)帰って来れんね!?ね!?」と,こちらに同意を求めてくる。祖父に家に帰って来てほしくないという想いが伝わってくる。私は祖父にはできたら在宅で過ごしてほしいし,そのために考えて行動しているのにそれを無下にされているような気持ちになる。祖母に対して軽蔑の感情すら湧いてくる。祖母は、自分が祖父の世話をしきれないから、帰ってこられても困るということを言う。それは理解できるが、祖父に対して帰って来てほしくないという態度を孫の私にぶつけないでほしい。という気持ち。
16.こちらを必要以上に気遣うので、鬱陶しい。普通に、過ごしたいように過ごしたほしい。
他にも細かいことを挙げればキリがないが、誰かと一緒に生活するということ自体がストレスなのかもしれない。祖母に限らず。
非常に疲れる。
と,ここまでは祖母に対する批判的視点で見てきた。ここで終わると,ただ愚痴をこぼして終わりになってしまうので、これらをどうしていくかを考えていきたい。
それぞれ番号対応で、対策を書いていく。
1.黒板を購入し,何時にどこにいくか,何をするかを書いておく。
2.1と同じ
3.音が少ない杖を買うか、下に何か敷くか
4.自分の意見を言う。祖母を必要以上に気遣わない。
5.2回までは答えるが、3回目からは「さっき言ったよ」で済ませる。
6.自分でやってもらう。
7.その都度指摘する。
8.1度決めたことをすぐ実行に移させる。
9~12.指摘する。
13.改善してもらう。
14.同じことは2回まで。
15.自分の意見を言う。
16.自分のことをしてくれと伝える。
以上。
かなり簡易的に書いたが、これらを地道に実践していき,改善点があればそれを改善していく。
他に,書きたいことはあるが、誰かに対する愚痴は言うのも気分悪いので今回はここまで。
家庭教師の役割
家庭教師の役割について考えていた
(養生訓は図書館に返したので、続きは気が向いたら書きます)
家庭教師は、学校や塾とは違って個別対応できるのが武器だ
その生徒1人1人に合った方法を見つけて指導して行くところに強みがあると思う
しかし,それを実践できている教師はどのくらいいるだろうか
もっと言えば、それを的確に実践できている教師は何人いるだろうか
口で言うのは簡単だが,多角的な視点からその子を見ていかないと、精度の高いマッチングはできないだろう
家庭教師はただ勉強を教えればいいわけではない
多角的な視点をアプローチをかけるために、自身が多角的な視点を養わなければならない
『養生訓/貝原益軒』入門 ①
図書館で見つけた本が気になって手にとって借りてみた。
「養生訓/貝原益軒」
歴史で聞いたことのある名前だったが,内容を読むのは初めてだ。
以前から東洋医学に興味を持っていたので、それもありこの本を手にとったのだが,読んでみて率直な感想は「当時の人間が書いたにしてはよく書かれている」というものだ。
私が貝原益軒よりも医学に精通してるとか、もっと正しいことを言えるとかいうわけではないが、巷に溢れる情報で得られるものとあまり変わらない内容だなぁというのが正直なところ。
でもそれはある意味すごいことだ。
当時の人間が、今の時代にも当てはまることを言い当ててるというのはすごい。
なぜなら,パソコンも携帯電話もなく、情報収集の手段が今ほど便利ではなかった時代の人間がその解に辿り着くにはたいへんな努力をされたのだろうと思う。
そういう視点で読むと楽しめる本かもしれない。
それはさておき,読んで気になった箇所を抜き取って書き出していきたいと思う。
今回は、このシリーズ記事を書こうと思った理由で終わりにする。
それでは。
2018.9.10
夢を見た
僕の昔の彼女が他の男性と付き合っている
しかし別れることになった
別れ際に彼女は、その彼氏の悪口をボロクソに言って別れていた
それを言われた彼氏は、「これから◯◯(女の子を抱ける場所)行くか!」と行って,いつもつるんでいる男友達と一緒に消えていった