多動星人(発達障害サポーター)

発達障害関連のブログです。いろんなことを好き勝手に書いてます。

急に思い出した。

 

昔,ある彼女と付き合っていたときのこと。

 

その彼女は,自分の気持ちが分からない,と言っていた。

 

それが原因で苦しんでいた(ように思う)。

 

当時の僕は、それを助けたいと思った。

 

それで,彼女といるときは、彼女の意思感情を優先させるようにしていた。

 

いつしか,それが癖になっていた。

 

僕自身に自分の感情や気持ちがないわけではない。

 

だけど、彼女といるときに「君は私に合わせ過ぎている。もっと自分の都合で笑ったりしてほしい」といったことを言われた。

 

それを言われて,僕も彼女と同じようなところ(自分の気持ちが分からない)があるのか,と解釈していたが、そうじゃない。

 

今やっと気づいた。

 

僕と彼女が付き合っていたときの、その癖が今でも残っているのだ。

 

なんでふと思い出したんだろう。

 

僕はビーズクッションに頭をのせて,右側を下にして横たわりながらレンタルした映画を観ていた。

 

ホラー映画だ。

 

それを観ていたら,ふと昔のことを思い出したのだ。

 

ある山に彼女と行った時のこと。

 

その帰り道。

 

外が暗くなっていた。

 

僕と彼女は、下山して駅前で何か食べて行こうか?と言った話をしていた。

 

その時に僕は彼女に「どうしようか。◯◯ちゃんが行きたいところ行こう」と言っていた。

 

いや,実際にそう言っていたかは定かではないのだ。

 

でも、そういった会話をしていた,もしくはそれに近い会話(彼女の意思や感情を優先させることで、彼女自身に変化があるのではないかと思っていた)をしていたのは確かだ。

 

それを思い出して,パズルのピースがハマって、「あ、そうか」となった。

 

自分でも、なんで彼女の前にいるときは自分ではなく彼女の意思や感情を伺ったりしてしまうのか、色々考えて解釈もつけていたが、これだ。

 

ぴったりくる。

 

もう彼女は変化した。

 

彼女は自分の気持ちを感じることができるようになった(以前より)し,自分の意思もはっきりと伝えられるようになった。

 

当時の僕はそれを望んでいた。

 

それが叶ったのだ。

 

当時の僕の願いは果たされた。

 

彼女は幸せになるだろう。

 

様々な葛藤はあるし、以前ほどではないが,気持ちに波もある。

 

付き合っている時も、常に相手の幸せを投げているわけではなかった。自分本位な言動もあった。

 

だけど、純粋に彼女の幸せを願って行動していた自分もたしかにいる。

 

それを否定したくない。

 

認めてあげよう。

 

許してあげよう。

 

よくやった。

 

失敗も多かったけど、当時の僕ができる精一杯だった。

 

全てを良い思い出にするわけではない。

 

ごちゃごちゃな時もあったけど、その中にある純粋な自分を大切に扱ってあげたい。

 

それでいい。

 

それがいい。

 

あの時の僕は、たしかに彼女を愛していたし、幸せを願って行動していた。(全てがそういう綺麗なとこばかりではない。自分の様々な欲を満たすために一緒にいたという側面もある)

 

それが時間をかけて,さまざまな出来事や出会いを通して彼女は変化した。

 

幸せに近づいた。

 

それを喜ぼうじゃないか。

 

あの時の僕は今でも自分の中にいる。

 

愛を教えてくれてありがとう。

 

過ちを指摘してくれてありがとう。

 

 

ダメだ

 

途中から言葉がごちゃごちゃになってきた

 

ごちゃごちゃしてる文章だけど、表現が整理できてないけど、吐き出さないと始まらない