多動星人(発達障害サポーター)

発達障害関連のブログです。いろんなことを好き勝手に書いてます。

2018.9.4 夢

夢を見た

 

私が昔好きだった友人が出てきた

 

細かいシチュエーションは忘れたが,「トイレに行ってくるから、それ終わったら一緒に学校(?)行こう」と約束をして私はトイレに行った。

 

トイレから戻ると友人はいなくなっていた。

 

私は友人に電話をかけた。

 

私「なんで待ってくれなかったの?」

 

友人「だって、待ってって言わなかったじゃん!」

 

私「言ったよ!」

 

友人「言ってないよ!!」

 

徐々に語気が荒くなっていく。

 

私「絶対に言った!!!」

 

友人「言ってないよ!!!!!」

 

私「%\・fcpーxrjn^;%,・rーxn!!!!」

 

友人「もう!!!!(ガチャ)」

 

感情を剥き出しにして,喚きながらお互いに主張をしていた

 

現実では、この真逆のことが起きてるけど、子ども同士の喧嘩みたいな夢だったな。

 

感情的なやりとりは非生産的だから,僕も友人も好まないけど…

 

でも感情的にぶつかって,あとで仲直りできるのなら、そっちの方がいいなぁと思う自分もいる

 

感情的になってもどこか理性を保っていて,相手への致命傷は避けながら感情をぶつけ合う

 

それで,お互いがスッキリしたら、謝って,散歩をしながらとりとめもない話をして,お腹が空いたら美味しいものを食べて、汗をかいたらお風呂に入って、疲れて眠くなって、泥のように眠りこけたい。

 

合理的な判断ばかりでは味わえない幸せがあると思ってる

 

私は、合理的なやり取りで築く関係はお互いの快適さを求めるのには適していると思っている

 

感情的なやり取りで築く関係は、お互いの人生の心の糧になるものだと感じている

 

感情が伴わない関係は、無味乾燥で、それはそれでいいのだが、心が枯れてしまう

 

合理性が伴わない関係は、お互いをどこまでも傷つけ合う関係になりうるので、合理性も大切なものだと思う

 

それぞれが大切なもので、どれが必要最低条件で、どれが必要十分条件で…「どれが」ではなく、「どれも」必要だと思ってる

 

それを1人の人で全てを補おうとしない方がいい

 

自分の人生の中に登場する人物全員に、その役割のようなものを分配していくことで1人1人にかかる負担を減らすと同時に、其々の存在を大切にする自分の心の余裕も生まれてくると思う

 

1人に全てを求めるのは、あまりに負担が大きく、あまりに非現実的で、あまりにリスクが大きすぎる

 

夢の話どっかいったなぁ…